相川七瀬さん夢見る少女は恋心を抱き母へ!現在の活躍は?

歌手

経歴

本名:佐伯 美咲(さえき みさ)

生年月日:1975年2月16日

出身地:大阪府大阪市

実家が神社で氏子として生まれる。

誕生

中学1年の時に

「中学3年生まで歌手になる
オーディションを受けさせて」

と母に頼み込み最後の挑戦で
1990年中学3年生で
CBS・ソニーグループ主催の
オーディションを受けるが結果は不合格

芸能界入りを諦めて
大阪府立北淀高等学校に進学

約1年後
オーディション審査員の織田哲郎さんから
直接電話を受ける。

その際、相川さんは芸能界入りを
諦めていたとして一度は断る。

この時に織田さんから
自宅の電話番号を伝えられていたそうです。

そして約一年後に
改めて織田さんに連絡を入れ
高校を中退し上京して
ボイストレーニングを開始する。

織田さんと二人の絆

オーディションの会場で

(相川)「一緒に受ける予定だった
友人の写真と私の写真がすり替わっていてね」

(織田)「これ、君じゃないよねって
指摘したのが俺ってわけだね」

(相川)「不思議で面白い出会いですよね」

ハプニングから初めて言葉を交わした。

相川さんはその場で
工藤静香さんの「嵐の素顔」を熱唱。

織田さんは今でも
その光景を記憶していた。

(織田)「中学生が笑顔ひとつ浮かべず
叫び倒してね。
普通は緊張すると
声が小さくなるんですけど
そんなこともなくて

そりゃ落ちますよ
アイドルのオーディションなんですから(笑)

オーディションを終えてからも
織田さんの脳裏には
相川さんの姿が強烈に刻まれて
離れなかったそうです。

(織田)「人のことを
全く覚えられない人間なんですけど
覚えていてね。
あいつ面白かったなって」

1年後。織田さんは
相川さんの実家の電話を鳴らす。

(相川)「お母さんから
『織田哲郎さんという人から電話がきたよ』と
当時は歌手の名前は知っていても
作詞・作曲が誰だということは知らなくて
織田さんって誰だろう?って」

(相川)「他のアーティストは
レコード会社から
プロデューサーを紹介されたりして
どうしてもビジネス上の関係性が強いと
思うんですね。

でも、私と織田さんは始めから違って。
織田さんが私の実家に来て、母に
『責任を持ってしっかり見ますので』と
あいさつをしに来てくれたところからの
スタートなので。

(相川)「だから家族のように
私の人生に欠かせない
大きなポジションを占めています。」

織田さんは相川さんのことを
磨けば光る金の珠だと
いち早くその存在に気付いたのですね。

相川さんを
トータルプロデュースするにあたり
織田さんは
前向きなガール・ポップに対して
前向きじゃないダークなロックを
前面に打ち出した。

(相川)「織田哲郎って人が
私の人生を
プロデュースしてくれたからだと思います。
彼は歌手としての私に
責任を持ってくれただけでなく
私の人生も大人になるまで預かってくれた。
そのおかげで
道を逸れることはなかったので
本当にありがたいなって思っています。」

(相川)「お前は雑草のように
野太く生きていけるから
心配するな、大丈夫」って
「その予言道り何とかここまで
やってきているので
雨にも負けず、風にも負けない
雑草で頑張っていきたいと思います(笑)

なんか凄くいい関係ですね

作品

1995年11月『夢見る少女じゃいられない
デビュー曲でありながら36万8千万枚!
週間12位!

1996年7月アルバム『Red』リリース
オリコンアルバムチャート初登場1位
245万枚を超すダブル・ミリオン記録!

同年10月5thシングル『恋心』は
ミリオンセラーを記録し
自身最大のヒット曲

現在まで

2015年茨城県鹿嶋市「かしま大使」就任

2018年「自由ケ丘アンバサダー」
「自由ケ丘スイーツ大使」就任

2020年には歌手活動と
3人のお子さんを育てながら
國學院大學神道文化学部に入学

女子大生です
凄いですね!
枯れない薔薇です!
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